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コンシェルジュ コラムバトン

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添乗員は子育てコンシェルジュ~イタリア・ボマルツォ編~
2024.01.16
勿来・田人地区保健福祉センターの子育てコンシェルジュ 今野です。

成人式を迎えた皆様、おめでとうございます! 
子育て真っ最中のお父さんやお母さんは、どんな成人式を過ごしたのでしょうか。
十人十色の様々なエピソードがあることでしょう。

私は成人式の思い出の一つに、母との振袖選びがあります。
再来年に成人式を控えた夏、母と二人で晴れ着を選びに出かけ、ある振袖に一目惚れ!「予算オーバー」と言いながら母も気に入ってくれました。
しかし、どんなに気に入った振袖でも、着られる時は一瞬です。振袖の命は短い・・・だから、娘が生まれた時には自分の振袖を着てくれる子ができたようで、とても嬉しかったです。

19年後、その時が到来。ある日、自信満々で実家に眠っていたお気に入りの振袖を娘に見せると、「こんなの嫌だ。昭和っぽい」
絶句。思いもしなかった一言に面食らう私。確かにその頃は「ママ振り」(母親の振袖)などという言葉もありませんでしたし、大胆でラメも入っているようなきらびやかな振袖が流行っていましたから無理もないことです。しかし、長年の夢をあきらめるわけにはいかない私は娘とトレード。振袖を新調しない代わりにイタリア旅行を提案し、大学生の娘と二人旅に出かけました。

イタリアはローマ、フィレンツェ、ミラノ、ベネチアなどおなじみの大都市だけではなくアシジ、オルビエート、シエナ、チビタ、チンクエテッレ等々最近日本人観光客にも人気が出てきた小さな街がたくさんあります。

その中でも異彩を放つのが中央イタリア・ウンブリア州にある「ボマルツォ怪物公園」。
私達が訪れたのは夏休みでしたので、真夏の日差しが照り付けていましたが、ボマルツォ公園に近づくと木陰が日差しをやわらげ、さわやかな風が心地良く、遠くからは教会の鐘の音が聞こえる素敵なロケーションでした。

が、一歩公園の中に足を踏み入れると、怪物公園の名前にふさわしく巨大な石像の怪物が現れます。添乗員さんの説明によると「ある貴族が妻を失った悲しみから作らせた」とのこと。その説が本当だとするともはや怪物公園などとは言えません。正式名称「聖なる森」と呼びたくなります。

「妻を失った悲しみが常軌を逸した作品になった」とのことですが、夫婦というものの絆の深さを感じます。夫婦って不思議ですよね。血のつながりが全くないのに親兄弟よりも強い絆で結ばれていくのですから。

そうは言っても子育て中は、なかなか夫婦の歯車が噛み合わない時が多くないですか?
私はイライラすることが多かったです。今は子どもたちが独立し夫婦二人暮らしですが、夫にイライラすることはほとんどありませんので、あの頃は何かに取り憑かれていたのかもしれません(冗談です)

子育て中にある映画を観ました。PTSDに悩まされるベトナム帰還兵と家族の物語。貧しい家計を必死に支える母親。母親が苦労して稼いだお金を使う父親を思春期の娘が批判した時に、母親は穏やかに諭しました。
「父さんは母さんの一部。父さんを批判することは母さんを批判することなのよ」と。

そうか・・・夫を私の一部だと思えばいいんだ、と考えるようになってからは、イライラしても「もう一人の私だから」となんとなく思いやりを持てる・・・時もありました(苦)。

星の王子さまの著者で有名なサンテクジュペリは
「愛とはお互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめること」
と言いました。

子どもを育てあげることは同じ方向を見つめることです。時にもめたり、苛立ったりしてもいい。意見が合わずにけんかしたっていいと思います。「一緒に子育てする」という同じ方向を見ているなら、やり方や考え方が違ったって目的は同じ、歩調も次第に合ってくるはず(?)です。

私達夫婦の子育ては同じ方向を向いているとは言えないこともあったけれど、物事が上手くいっている時より上手くいかない時こそ、夫は子育ての同志、同じ時を歩く人生の同志なのだと思わされるのです。
「パパとママの会話、全くかみ合っていないよ」と子どもたちにはよく言われていましたが、そんなもんです、夫婦って。

話は戻りますが、しぶしぶママ振りを着てくれた娘。昭和っぽい振袖は周囲の方々にたいそう褒められ、娘もお気に入りになってくれたようです。そして大学の卒業式には袴をはかずにママ振りを着てくれました。
学部長が一句詠んでくださいましたので紹介させてください(^^; 一年に一句だけ詠むそうです。
「振袖は 母の形見と 卒業子」(この場合の「形見」は思い出の物という意味だそうです)
私がどや顔になったのは言うまでもありません。